女性を奈落に突き落とす記事「クリトリス崇拝」
当時、女優でダンサーでもあり、有名な人物であったモード・アランは、「サロメ」(オスカーワイルド・作)という舞台において、ビーズを全身にまとったような衣装で出演していたことにより、観客や世間からその当時大きな批判を受けていました。そのような状況もあって、当時多くの読者を抱えていた雑誌に「クリトリス崇拝」という内容の記事を権力のあるビリンクという弁護士に書かれてしまっていたのです。
この雑誌には、ダンサーであるアランはドイツのスパイであり、彼女はH・H・アスキス元首相の妻を誘惑するために送り込まれた、レズビアンであると報じられていました。
実際、この雑誌が発売される半年前には、マタ・ハリと名乗るまた別のダンサーは、ドイツから派遣されたスパイ活動の疑いにより、処刑されています。
ビリング弁護士の告発記事による「犠牲者」でも、特に目を見張るような目立つ美人のアランに大衆は熱狂し、文中に書いてあった「クリトリスの力」というフレーズに目が釘付けになったのでした。
この記事を読んでアランは怒り、弁護士を名誉毀損で告訴しました。ビリング弁護士は、自分に弁護士をつけず、弁護は自らが自らを弁護する形で裁判に臨みました。
そして、「クリトリス」という言葉は自分を落としめるための「罠」だ、と釈明しました。それは、「クリトリスという言葉の意味を本当に理解すべき人にしか理解はされるはずがない、禁断の言葉だからだ」とビリンク弁護士は法廷で弁明しました。
また法廷ではクリトリスがどんな器官なのかを説明した証言者もいます。
それによると「クリトリスは、極度に興奮した時には男性器同様勃起します。このような興奮状態にあると、女性は何をしでかすかわからないものなのです」と言ったものでした。
さらに自ら法定の証言台に立ったモード・アランは、「あなたは医療従事者ですか?」と質問されました。
当時はクリトリスなどと言う言葉は、医療関係者以外に説明できないと考えられていたからです。
もっとも彼女もそう考えていました。しかし彼女は、自分の命を守るため、どのようにしてクリトリスの言葉の意味、そしと知識を知り得たのかを話すわけにはいかなかったのです。
実はアランは、若い頃ベルリンに住んでいました。そこでドイツ人女性向けの百科事典に挿絵を描いて生計を立てていたことがありました。
その内容は、普通の女性なら知りたがる裁縫やバラの栽培などの一般的な内容から、なんとクリトリスの正確な位置やその働きなどの内容までも書かれていたのでした。
とくにアランは、クリトリスとドイツとの関連は、絶対に認めたくない、認めることができないものでした。
彼女はクリトリス知識があると言う、自身の最大の秘密を守ることがなによりも必要でした。
その秘密につけ込み、ビリングは悪意に満ちた告発を行なってしまったのです。
実はモード・アランは、性に関してはノーマルではなく、レズビアンでした。
アランが知っていてはならない知識を持っていたことで、アランが起こした裁判にもかかわらずビリング側に有利に働き、訴えられた本人であるビリングはあろうことか無罪となってしまったのです。
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