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アメリカでは近年、公的資金を使った「性の研究」が批判にさらされています。
そんな中で、この性の分野で大きく差をつけているのがカナダです。「濡れているならセックスをしたいに決まっている」「口ではノーと言っていても、体はイエスと言っている証拠だ」といった紋切り型で時代遅れな、女性への偏見に満ちた意見をものともしない女性教授の研究を追ってみました。
「被験者に官能映画を見せなければならない場合、白衣着用で、髪はひっつめてノーメイク、のようなまさに研究者らしい地味な格好をしていたほうが、相手は安心しやすいのです。」カナダのクイーンズ大学で「性とジェンダー研究所(略してセージラボ)」という研究所の所長を務めるメレディス・チヴァース(44)は、そう説明します。
この実験の、ボランティアの被験者は、個室でリクライニングチェアにゆったりと腰かけます。
心の準備が整ったところでチヴァースのアシスタントに合図を送ると、フラットスクリーンのモニターが部屋に運び込まれ、そこでポルノ動画を上映します。映像の中では、プールサイドにいる小柄でビキニ姿の金髪女性が、ひざまずいた男性から優雅にオーラルセックスをされています。
被験者はいくつかの質問をされ、自分の反応を0〜9の値で回答します。
その質問事項には、このようなものがあります。
「どの程度、性的に興奮していますか?」
「どの程度、退屈していますか?」
「どの程度、嫌悪を感じていますか?」
「自慰をしたいですか?」
被験者女性の膝に広げられたシーツの下には、細いコードがハイテクで高性能な感光性計器に繋がれています。また、腟内にはタンポン型の機器が挿入されており、さらにクリトリスには電球の形をした付属機器が当てられ、ものものしい装置が装着されており、痛々しくも感じましたが、これで興奮度を測定するのです。
別室では視線計測のコンピュータが、被験者が見ているのと同様の動画を映し出しています。こちらのモニターには男優と女優の体の特定の位置が赤い点で覆い尽くされています。実はこの赤い点は、「被験者の目線の動き」をリアルタイムで示したものなのです。
この赤い点のサイズが大きいほど長時間見つめているということを表していて、特に体の部位やその行為に釘付けになっているということになります。
アメリカを超えた!カナダでの【性の研究】
男優と女優の顔、乳房の上で赤い点は少しづつ大きくなっていきます。また、男優の股間にふくらみができると、股間はは赤い点に覆われて見えなくなってしまいました。やはり目線が行くところはみんな同じのようです。チヴァースらは文字通り、視聴者がセックスや異性の体をどのように見ているのかを理解しようとしています。
昔から現在まで、性の研究というと、ただ性器の状態の計測と、記述式質問票の組み合わせに頼ってきただけと言えるでしょう。これではその本質まではわからないのではないでしょうか?
彼らはいまや、視線計測や脳スキャン、その他のありとあらゆるハイテク機器を使って、より合理的で直接的な方法で人間の最大の頭脳とも言われる「性器」を観察するようになっています。
チヴァースを一躍有名にしたのは「女性をその気にさせる本質とは何か」をテーマにした研究で、それはポルノとそれによる性器の反応を調べるものでした。
この研究によって、クイーンズ大学、および国としてのカナダは、性科学の最先端に立つことになりました。また、オンタリオにあるコンコーディア大学の心理学教授、ジム・フォウスはこう言います。
「この最先端の研究は、コンコーディア大学、そしてカナダが世界へ貢献した研究だと見なされています。」
また、米国出身のフォウスによれば、このチヴァースの研究が米国の学者たちを驚かせた理由の1つには、この研究がそもそも計画倒れではなく「実現したこと」にあると言います。
「彼女があの研究テーマを論文にしたとき、誰もが『嘘だろ!』と目を疑いました。『この研究をやるのに資金をもらえると思っているのか?』とね」
実際に公から資金は彼女の手に入りました。それもチヴァースはカナダ自然科学工学研究会議(NSERC)、カナダ保健研究機構(CIHR)、カナダ社会人文科学研究会議(SSHRC)とカナダの3つの連邦助成機関のすべてから支援を受け、“三冠”を達成したのでした。
このように三冠研究者となるためには、その研究内容が基礎科学と生体臨床医学の進歩に寄与し、同時に社会的意義があると見なされなければならないと言います。
チヴァースは三冠に加えて2009年にも、カナダ・イノベーション基金(CFI)から18万3000ドル(当時、約1750万円)の助成金を受けてセージラボを設立したという、さらに素晴らしい事実があります。
以来、さまざまな性的指向を備えた約500人の被験者が、チヴァースの実験室のリクライニングチェアに座ってきました。
バイアス(偏り)のある定説に【喝っ!!!】
最初に世間の注目を集めたのはチヴァースがセージラボを開設した2009年のことです。世界の注目を集めた、その事情とは衝撃的な彼女の研究成果にありました。「異性愛者の腟は、女性同士の性行為から、ボノボの交尾まで幅広いセックスを目にすることによって興奮状態になります」
「腟の分泌液は、必ずしも女性の性的興奮を現すわけではない」という斬新な研究結果でした。
特に後者に対する仮説は、「性的興奮ではなく、ただの反射的な防御反応かもしれない」というこれまでとは全く違った仮説でした。
例えば、性的暴行の状況下では、腟は分泌液を出すことで、組織が傷つくのを防ぐように自ら進化したのかもしれないとも考えられるからです。
そしてそのチヴァースの発見がメディアで大々的に報道されると、彼女のもとには女性たちから続々と感謝のメッセージが届きました。
女性たちは盛んに頷き、その代わり男性たちはその研究結果に身をすくめているようでした。
その研究結果は、従来の『濡れているならセックスをしたいに決まっている』『口ではノーと言っていても、体はイエスと言っている』といった、男性の偏見からくる定説が、実は事実ではないということを証明したのです。
彼女の実験室に通った、ボランティアの人の中には、レイプされた経験のある女性たちもいます。彼女たちは、(腟液の分泌があったのは)ひょっとしたら自分もそのセックスを望んでいたということなのか?という思いにずっと自責の念に苛まれてきたそうです。
28%の女性が興奮を感じることができない事実!
最近では、チヴァースは「欲望のあり方」の新しいモデルをテストしています。生物学的に「ノンバイナリー女性(心の性や自分の性別の表現が、男女のどちらかに限定されない人)」の集団を集めた上で、しかるべき刺激を与え、その人たちのクリトリスへの血流量を計測しているのです。
もちろん腟の反応だけでなく、もっと重要な心と体の繋がりも調査しています。そこで登場するのが、例のおびただしい赤い点を描き出す、約5万ドルの視線計測装置なのです。
前出のフォウスは「研究者の間では『そこに性器が関わっていなければそれは性的ではない』という考えが通説でした。しかし現在では、『セックスには性器だけではなく、全身が関係している』という見解が世の中に広まりはじめています」と語ります。
チヴァースは、いずれは注意散漫な視聴パターンが性機能障害とどんな相関関係にあるのかという、さらに一歩進んだ研究を進めたいそうです。
例えば、2013年に発表されたイギリスの研究成果によると、やはり男性より女性のほうが高い割合で性に関する悩みを抱えているそうです。その内容のNO.1は、セックスに関心が持てないこと、さらに性交痛があることまで多岐にわたっています。
こうした症状には、「女性の興奮障害・性的関心(FSIAD)」という診断結果を伝えられることが多々あります。
それはもともと性欲が低いのが原因で、適度な刺激があるにも関わらず、性的に興奮できないという症状がみられる病気です。この病気は医師側が判断するのではなく、患者がこうした状態をストレスだと思っている場合にのみ、FSIADは「障害」と見なされるのです。
「ザ・ジャーナル・オブ・セクシャル・メディスン(医学史)」の文献の評論によると、実に28%の女性が性的興奮を感じられないと答えているそうです。これらの患者の多くは、他にも問題を抱えているケースがあります。
しかし、性的興奮を普通に感じる“正常な”女性の性とはどのようなものであるかという基準が存在しなければ、医師は性機能障害であるとして治療はできません。そしてその基準は今日にいたるまで、定められていないのが現実です。
トランプ政権による性の研究資金の削減?!
西洋では、実に古代ギリシャの時代から「性」が研究されてきたことを考えると、日本人の我々は驚きを隠せません。それだけ性に対して真剣に向き合ってきたということになりますが、日本人は反対に目をそむけてきました。しかもこうした研究は、「男性」を対象におこなわれてきたものが大半です。実に何世紀にもわたり、求愛と性交において実際に積極的である、積極的であるべきなのは女性ではなく、男性だとされてきたからなのです。
それとは対照的に女性の性はタブー視されてきたため、女性の性に関する研究はごく最近まで良くは思われて来ませんでした。ほんの10年前でさえ、性機能障害の研究は約3対1の割合で男性の悩みについて研究されていたことがわかっています。
また、多くの基礎的な医学書では、ペニスの生態や構造に関しては何ページもが割かれている一方で、女性器の完全な構造は書かれていないに等しいのです。
たとえば、ペニスと同じくらい、いやそれ以上に多くの繊細な組織を持っているクリトリスの内部構造に関しては、最近になってようやくその完全な図解が医学文献に登場しはじめたばかりです。
さらにトランスジェンダーやノンバイナリーの人々の研究に至っては、日本に限らず世界でももっと遅れているのです。
人類の半分を占めている女性が一般的な性欲の対象に当てはまらないと仮説すると、一体それは何を意味するのでしょうか。今のところ、その答えを見つけるのに地球上で最も適した場所は、カナダです。なぜなら米国の大学は既に性の研究を規制しはじめているからです。
米インディアナ大学の性の研究機関であるキンゼイ研究所の兼任教員であり、ボール州立大学大学院の社会心理学研究課長でもあるジャスティン・J・レイミラーは、2016年11月に自身のブログにこんな記事をアップロードしました。
「昨晩、米国の大統領選の結果が報じられる中で、私は愕然とした。そして今朝目覚めたときは、完全に恐怖におののいてしまった」
「プレイボーイ」誌にコラムも寄稿しているレイミラーは、「ウォール・ストリート・ジャーナル」紙やCNNといった報道機関からコメントを頻繁に求められます。
この日の朝、彼の目に映った米国は、以前よりリベラル色が薄れていました。そして、なぜ性の研究を助成しなければならないのかという疑問に、米国の納税者が以前よりもさらに懐疑的になったように感じたのです。
大統領選挙では、共和党のドナルド・トランプが大統領に選出され、社会保守主派のマイク・ペンスが副大統領になったからというだけではありません。
レイミラーの地元、インディアナ州では、大統領と同じ共和党のエリック・ホロコムが州知事に選ばれていました。ホロコムは2000年の同州の下院選挙に出馬した際、選挙前の演説で「州がインディアナ大学に“ポルノの収集、獣姦や同性愛、小児性愛の研究に使用する”研究資金を援助している」と激しく非難していました。
さらにレイミラーは、米国の多くの性科学者が抱えていた懸念を公の場にさらしてしまいました。実際、チヴァースの米国の研究者仲間も、大統領選挙以前に、性器の反応の計測を行う研究を取りやめるよう求められたそうです。
「性の研究は一般的に、助成機関に研究資金を頼っています。そしてこうした助成機関は、政府からの補助金に頼っているのです。そのため、これらの研究は、政権交代の影響をもっとも受けやすいと言えます。」さらにチヴァースはこう付け加えます。
「米国の性研究者は皆一様に不安になっていると思います。これまでの歴史を遡っていけば、それも当然でしょう」
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