2020年も目前に控えた現在でも、アフリカの一部では、クリトリス切除の風習が残っています。衛生面などの医学的問題に加えて、こうした風習は精神的苦痛も伴います。
そして、現在、クリトリス切除の風習などはない先進国フランスでさえも「心理的な意味あいでのクリトリス切除」つまり、「女性が快感を得ることへの否定」は存在していると『クリトリス革命』の著者たちは本の中で書いています。
これはまさに日本にも言えることなのですが、セックスを楽しいと感じるのは、いけないことではないのです。現にネット上には異常なまでに享楽的で、センセーショナルな情報があふれているため、すでに性に対する抑制はなくなったかのように見えます。
ネット上だけ見るとまったくわからないですが、日本ではひとりの女性が公衆の面前で積極的に性を語ることはまだまだ難しいのが現状です。
私が翻訳作業の中で感じたことですが、女性器および女性の性についての語彙が、現代日本では極端に少なく、医学的な名称を除けば「男性から見た目線」のものがほとんどなのです。
「陰部」「陰唇」「陰核」と女性器の呼称からして、あたかも女性器が決して表には出ない存在の、「陰」であったということを示してしています。なぜ「陽」でなく「陰」なのでしょうか?
ちなみに、『クリトリス革命』の原題はフランス語で「Entre mes lèvres, mon clitoris」 といいます。直訳すると、「唇のあいだからのぞくクリトリス」となります。
唇とは、大陰唇のことですが、それと同時に、「話す行為」の象徴の器官です。これは「唇」と「話す」をかけていて、まずは、女性器について、正面から語ることから始めてはいかがでしょうか?という著者たちのウィットに富んだ意志がここに示されているように感じます。
一方、日本語の『クリトリス革命』というタイトルには、ストレートにここから現状の何かが変わる、いやむしろ「変えたい」という願いがこめられています。訳者である私も、この本を訳すことで、少しだけ自分が強い女性になったように感じています。
実は私が翻訳をはじめた当初はタイトルを口にするだけでもどぎまぎしていたのにも関わらず、作業が終わった今、自分の身体のことを恥ずかしいと思うこと自体が恥ずかしいと思うようになりました。きっと私はいままで何十年もの間隠されてきたタブーから解放されたのかも知れません。
クリトリスは女性を自由にします。それと同時にクリトリスは女性の味方なのです。病気で子宮を失った場合、閉経してしまった、妊娠や出産について迷いがある、パートナーとの関係に悩んでいる場合など、女性として生まれていろいろな悩みがある場合でも、クリトリスはわたしたちを慰め、はげましてくれるでしょう。
このようにクリトリスはフェミニズムの象徴であり、「楽しく生きる」ためのヒントでもあります。女性の性は産むことや受け入れるなど、「受け身」なことだけではないと考えを新たにするだけで、女性の生き方が変わります。そして、それにつれて男性側の女性観も変わっていくはずなのです。
フランスでは今年、中絶合法化を実現したシモーヌ・ヴェイユのパンテオン(偉人廟)合祀、『第二の性』の著者シモーヌ・ボーヴォワールの生誕110年など、フェミニズムの先駆的偉人たちのイベントが続きました。
また、私の訳したこの本に限らず、女性の生理や出産などに関する。これまでより一歩踏み込んだ形で女性の身体を論じる本の刊行も増えています。これらの動きは一過性のブームで終わるものではないと、私は感じています。
ハリウッドから始まった、#MeToo運動が、やがては世界に波及したように、これらのムーヴメントは外国に限ったブームではなく、日本でもいずれ同じような動きが現れるでしょう。いや、私たちが知らないだけでもうすでに始まっているのかもしれません。
思えば、セックスほど普遍的であると同時に、個人的でパーソナルなものはないのではないでしょうか?
これは誰もが避けては通れない問題ですが、これといった正解も存在しないものです。だからこそ、性についてまじめに明るく語れる機会がもっと増えれば、こんなに幸せなことはありません。
そして、現在、クリトリス切除の風習などはない先進国フランスでさえも「心理的な意味あいでのクリトリス切除」つまり、「女性が快感を得ることへの否定」は存在していると『クリトリス革命』の著者たちは本の中で書いています。
これはまさに日本にも言えることなのですが、セックスを楽しいと感じるのは、いけないことではないのです。現にネット上には異常なまでに享楽的で、センセーショナルな情報があふれているため、すでに性に対する抑制はなくなったかのように見えます。
ネット上だけ見るとまったくわからないですが、日本ではひとりの女性が公衆の面前で積極的に性を語ることはまだまだ難しいのが現状です。
私が翻訳作業の中で感じたことですが、女性器および女性の性についての語彙が、現代日本では極端に少なく、医学的な名称を除けば「男性から見た目線」のものがほとんどなのです。
「陰部」「陰唇」「陰核」と女性器の呼称からして、あたかも女性器が決して表には出ない存在の、「陰」であったということを示してしています。なぜ「陽」でなく「陰」なのでしょうか?
ちなみに、『クリトリス革命』の原題はフランス語で「Entre mes lèvres, mon clitoris」 といいます。直訳すると、「唇のあいだからのぞくクリトリス」となります。
唇とは、大陰唇のことですが、それと同時に、「話す行為」の象徴の器官です。これは「唇」と「話す」をかけていて、まずは、女性器について、正面から語ることから始めてはいかがでしょうか?という著者たちのウィットに富んだ意志がここに示されているように感じます。
一方、日本語の『クリトリス革命』というタイトルには、ストレートにここから現状の何かが変わる、いやむしろ「変えたい」という願いがこめられています。訳者である私も、この本を訳すことで、少しだけ自分が強い女性になったように感じています。
実は私が翻訳をはじめた当初はタイトルを口にするだけでもどぎまぎしていたのにも関わらず、作業が終わった今、自分の身体のことを恥ずかしいと思うこと自体が恥ずかしいと思うようになりました。きっと私はいままで何十年もの間隠されてきたタブーから解放されたのかも知れません。
クリトリスは女性を自由にします。それと同時にクリトリスは女性の味方なのです。病気で子宮を失った場合、閉経してしまった、妊娠や出産について迷いがある、パートナーとの関係に悩んでいる場合など、女性として生まれていろいろな悩みがある場合でも、クリトリスはわたしたちを慰め、はげましてくれるでしょう。
このようにクリトリスはフェミニズムの象徴であり、「楽しく生きる」ためのヒントでもあります。女性の性は産むことや受け入れるなど、「受け身」なことだけではないと考えを新たにするだけで、女性の生き方が変わります。そして、それにつれて男性側の女性観も変わっていくはずなのです。
フランスでは今年、中絶合法化を実現したシモーヌ・ヴェイユのパンテオン(偉人廟)合祀、『第二の性』の著者シモーヌ・ボーヴォワールの生誕110年など、フェミニズムの先駆的偉人たちのイベントが続きました。
また、私の訳したこの本に限らず、女性の生理や出産などに関する。これまでより一歩踏み込んだ形で女性の身体を論じる本の刊行も増えています。これらの動きは一過性のブームで終わるものではないと、私は感じています。
ハリウッドから始まった、#MeToo運動が、やがては世界に波及したように、これらのムーヴメントは外国に限ったブームではなく、日本でもいずれ同じような動きが現れるでしょう。いや、私たちが知らないだけでもうすでに始まっているのかもしれません。
思えば、セックスほど普遍的であると同時に、個人的でパーソナルなものはないのではないでしょうか?
これは誰もが避けては通れない問題ですが、これといった正解も存在しないものです。だからこそ、性についてまじめに明るく語れる機会がもっと増えれば、こんなに幸せなことはありません。
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